担当制度は放棄しました

D(誰か)D(抱いて)

担当制度の放棄に至るまで

はじめまして。おはようございます。

こんにちは。こんばんは。



ちょっと夜な夜なTLをお騒がせするのが心苦しくなってきて、どうしても何か語りたくなった時用に避難所を確保しとこうと思いブログの開設に至りました。アカウントも増やしたのにね。なにこの情熱。中学時代のホムペ()から大学を卒業してしばらくの間まで、学生時代は大体何かしらのブログを大体毎日書き綴っていたのですがもうとんとご無沙汰です。本当にどこから来たのかこの情熱。この胸のソワソワ感。


そうです、拗らせています。


おそらくジャニオタ14年生なのですが、人生で一番拗らせてると言っても過言じゃないのではという拗らせっぷり。毎晩ドリーム小説書いてる。自分がいつからジャニオタなのかっていうのは定かではないので、私が亀梨くんにハートを持って行かれジャニオタ人生に転がり込む契機となったドル誌(2002年4月のミョージョー)の表紙を眺めながらお送りしております。なので14年生ということにしておきます。



まず、ブログを始めるにあたって今の自分の状況を記しておこうと思ったのですが拗らせDDとしか表記しようがない状態であります。今年の現場を振り返ってみてもれっきとしたDD(誰でも大好き)でしかないのは明らかなのに、全然軽くない。すごい重い。


なのでまずは、その拗らせDDに至った経緯を振り返ってみようと思います。


簡単にまとめると

  1. 小学校〜中学時代(黎明期)
  2. 中学時代(確立期)
  3. 中学〜高校時代(発展期)
  4. 高校〜大学時代(衰退期)
  5. 現在
の5つの時代で構成されています。




まずは黎明期。

所謂ジャニーズ黄金期と呼ばれる年代に思春期を迎える90年生まれの私。例に漏れずなんとなく、あぶない放課後・8時だJ・USO・ネバーランド等を通過する。この時点では今井翼渋谷すばる推し。ただジャニーズだからとかいう意識は特になくて、かっこいいな〜〜くらいだったと思う。テキ屋の屋台で見つけた非公式下敷きとかシールとかを買う程度。意識してなかったけど、今思えばここでどの程度その対象にハマるかで後々の人生が左右されるのではないだろうか。同じように8時だJを見ていても下敷きを買ってなかった友達は今はもう結婚して母となっている。



そして確立期。

忘れもしない2002年の春。中学生になる前の春休み。少クラ裸少週間V.WESTを見る程度にはなんとなくジャニーズ好きも板についてきた頃。木更津キャッツアイで翔くんかっこいい♡になった私が手に取ったmyojo。突然の恋。そう、亀梨くんとの出会い。その前にも亀梨くんは見ていただろうが、このmyojo4月号の写真が私の人生を変えた。今までの茶の間生活に別れを告げて、立派なジャニオタとしての生活を歩み始める。初めてジャニショにも赴く。狂ったように同じ映像(当時はVHS)を見る。同じ小学校の友達が内担だかなんだかで誘われ松竹座デビューもする。この年の松竹座クリパかタキつ卒業魂が初めての現場だと思われる。ウチワも作る。知ってる?亀って文字作るのめっちゃ難しい。とにかく亀梨さんに出会ったことは私にとって衝撃だった。


さらに発展期。

現場の少なさから関ジュ担になることを決意する。ジェーキューブKANSAIが始まった辺りで、とりあえず関ジャニ8の中の誰にしよっかな〜くらいの気持ちで安田担を名乗り始める。野球大会やドリボなどKAT-TUNvs関ジャニ8の時期も多かったので、大体亀梨担赤西担錦戸担と4人でよく現場に行ってた。亀梨くんも見れるしラッキ〜〜☆ 4人で割と長い間活動していたけど、自分たちのことを“DREAM GIRL”と呼称してたのは今思い出しても微笑ましい。絶対同じようなことしてたジャニオタめっちゃおる。彼女たちとは別に私が主に関西の現場を共にしていた内担だった友達は菊岡担に、後に佐竹担になった。彼女と松竹座に赴くうちに、どんどん関西沼に引き込まれる。当時はまだ松竹座に列のある時代で、初めてのファンレターを書いた。間近で見る安田くんは小さくて可愛くてかっこよかった。日が経つにつれて、手紙を渡せば渡すほどにどんどん好きになっていくまさしく沼だった。公演に入る日(今と違って毎シーズン2.3回)だけ渡そう→入らない日も渡しに行こう→梅コマにも行こう→関テレも行こう。気付いたら、立派なオ◯キに仕上がってた。とにかく私は現場に情熱を注ぐ関西至上主義になり、NEWS結成報道にはおいおい泣いた。錦戸と内を返せと憤った。野球大会も握手会も始発で行った。亀梨さんの時と違う“好き”がそこにはあった。



そんなガチジャニオタLIFEをキメていた私に訪れた衰退期。

特にこれという事件や理由があった訳でもない。ただなんとなく、関ジャニ8関ジャニ∞になって、列の人数が桁違いになってきて、博貴がいなくなって、松竹座が城ホールになって、いつの間にか何都市も回るようになって、色んなことがあったけど共に成長してきたはずなのに気付いたら私は関ジャニ∞から離れてた。佐竹も辞めたから一緒に動く人もいなくなったし。別にエイトが嫌いになったとかそんなの一切ないのに、FTONが私の覚えてる限りの最後のエイト魂。もしかしたら松竹座卒業したからかな。どんだけ松竹座好きやねんな。松竹座おばさん松竹座に囚われすぎ事件。そんなこんなで現場から遠ざかる日々。以前ほど少クラ見なくなったし、ラジオも聞かなくなったし、アホみたいに同じDVD見ることもなくなった。最後に買ったDVDは47だったと思う。つまり、2008年〜2012年はジャニオタブランクである。博貴魂は最前で行った(その他にも誘われてなら行ったかもしれない)けど、アクティブにジャニーズに関わることはなかった。リアルも充実っていうか色々あったし、なんか多分大体二次元に逃げてた。ポケモンとか600時間やってた。ネトゲ毎日12時間とかしてた。




そして2012年突然のジャニオタ復帰。本当人生何があるかわからんな、って。

ジャニーズが嫌いになった訳ではなかったので、ジャニオタカラオケとかはしてたしジャニ勉は割と見てたしまあ気が向けば少クラも見てたし、薄い茶の間ではあったから確かに情報はなんとなくは入ってきてた。

セクシーゾーンとかいう新星が現れたこともジュニア事情やら関西事情(グループ変遷系や悪の道に堕ちた系)も耳にしてた。


ただ中島健人くんの可愛さは想定外だった。


これ今まで私も忘れてたけど、多分ジャニオタ復帰のキッカケはケンティだわ。2012年のブログに「LADYダイヤモンド」っていうタイトルで写真付きで紹介されてた。

f:id:jesse-mytm:20151013145706p:image

(当時のブログより)


え?そうなん?私セクシーガールだった?え?ケンティ可愛いね?勝利くんも可愛いね?

そこから毎週欠かさず少クラを見る生活に戻ったらしい。そしてワナビーあたりで空前のタマモリちゃんブーム。ごくせんは映画館まで見に行ってたし、タマモリちゃんはもちろん知ってた。金魚みたいな顔してた。美男も見てた。気に入らんかった。ただこんなに可愛く成長したなんて知らなかった!!!!!!!タマモリちゃんカワイイ!!!!!!!

ってなって現場復帰。You&J以来のファンクラブ。Good魂で久しぶりの城ホ。10年選手のペンライト。マッチドリボで初遠征。タマモリちゃんだけ緩く出戻り応援しとこ〜〜☆と思いきやジャニスト楽しすぎるしジェシーさんと丈一郎さんにガチめに心奪われてそのままずるずる。沼。今が一番沼。松竹座楽しすぎてひどい。出戻り松竹おばさん。今は正門さんがアツい。


特に今年は現場ラッシュで9月現在で38公演だったかなんだかという数字を叩き出してて恐怖。こんなはずじゃなかった。出戻ってからはなんでも行く。スマップも行ったし嵐も行ったしKAT-TUNもエビも行ったし外部舞台も行く。葉加瀬太郎も行った(関係ない)



そんなこんなで出会うメディアの波の中で、行く現場の先々で、目玉の足りない思いをする程度にお気に入りの可愛い男の子を見つけ、担当放棄に至りました。


自分の人生を振り返るとどう考えても愛が重いタイプのオタクなので、一人に絞るとしんどいからDDくらいで丁度いい。丈一郎さんのことを考えながら正門さんに抱かれたいし、いつかジェシーさんが白馬にまたがって迎えに来てくれることを夢見ながらリチャに添い寝して相槌打ってもらいたい。タマモリちゃんに絵本の読み聞かせをしてあげた後で、あっくんの隣で眠りたい。大体そんな感じ。




ブログの用途も何も考えず機能の使い方もわかってないまま始めましたが、これからぼちぼちどうしようもない日常や拗らせた妄想を綴っていこうと思います。そしてまた何年後かに見返して枕に顔を埋めたい。そういう所存です、よろしくお願いします。